京浜工業地帯ポタ(2009/12/6)
JR大森南口 9:00集合でしたが22分ほど遅れてしまいまして参加の皆さんを待たせてしまいすみませんでした。7:00に自宅を出発して鎌倉街道、国道15号を走ってきたのですが、出掛けにヘルメットにするか帽子にするか迷った挙句、時計やらボトルやらを忘れるドタバタぶり。
しかも途中の子安あたりのコンビニで1つしかない男女兼用のトイレに入ろうとしましたが野郎(たぶん)がなかなか出てこないうえ、中でガサガサ新聞読んでやがったので(`ε´)私も意地になってノックしたりしても無反応。10分待ってたのに結局出てこなかったのであきらめました。
まだこの時点では蒲田くらいの距離感で考えていたのですが大森は案外遠かったのでした。大森海岸駅には着いたものの、京浜急行を基準に世界を見る私には国鉄の大森駅がわからず、迷いつつたどり着いたのでした。と、遅刻の言い訳はこのへんにして・・・・・幹事Tさんのレクチャーののち、9時半過ぎに出発となりました。
コースは大森→大田区の下町→川崎区の工業専用地域→東扇島の物流地区→横浜市鶴見区の工業専用地域とのことで、まずは昭和島の方角へ、生活地帯をくねくね走って、海浜公園に出ます。ポカポカ陽気で早くもまったり。
このエリアを自転車で走ったのはたぶんツアーオブジャパンか何かを見学したとき以来(場所は微妙に違いますが)で工業地帯を目的にしたポタはかなり異色です。
海沿いの緑道で青い空や海、飛行機や遠くの富士山など観ながらちょっと休憩したのち、ちょっとしたロードいじめを経て、大田区の下町のこうば地帯を走り、羽田空港を横目にしつつ、どうせなら多摩川の河口に行こうということになったのでした。
エアカーゴも呉越同舟のようで。コストダウンといっても物流費のコストダウンで競合会社に差をつけるのはむずかしいものでしょうね・・などとつらつら考えつつ。
大師橋から神奈川県に入り、多摩川河口(殿町)へ。河口まで走ったのは初めてです。ヒコーキの発着がよく見えます。ジェット機を待ってましたがダウンサイジングが進んでいてなかなか来ません。金浦からやってきたKEのジェットはやっぱり迫力ありました。思えば中学に上がる前、鶴見(だったと思いますが)の親戚宅へ自転車で出かけたのが遠出の始まりだったような。そのときも帰りに川面でぼんやりしたのでした。脈絡ないですがそういった原点をなんとなく思い出したのでした。
多摩川河口から戻って浮島へ。理系に疎いですが、ガス関連が多かったような。コンビナート上に拡がる、川崎の抜けるような青空をみてなぜかイルカの「小さな空」という歌を思い出して、感慨深く、うれしかったのでした。
それにしても釣りに来る人が多いですね。浮島にも東扇島にも、工業地帯にこれほど多くの釣り人がいるとは・・蒲田(この日はいけませんでしたが新子安にも)には釣り船もありましたし皆さんシマノに翻弄されているのですね^^
プラントの類をこれほどしげしげに眺めたのはどれくらい久しぶりになるかわかりませんが、とにかく今日はその大きさや精密な構造に圧倒されました。
浮島から多摩運河を渡って小島新田へ戻り、千鳥町、今度は東扇島へ。工業地帯は渡る道が限られ、どうしても行きつ戻りつになり、ご近所ポタのようでも距離は結構走ることになります
東扇島へは隠れた名所?川崎港海底トンネルを歩いて渡るのでした。1km程度の長さを歩くので(漕いで走るのはNG)10分ほどかかり、道路の横にあるトンネルなので車の音も。万が一のための避難経路にもなっているトンネルということのようです。
当初の計画では東扇島の食肉流通センターにあるレストランで食事予定でしたが日・祝日はお休みでした。その前にすでに2時近くでしたので腹が減っていました。補給食を持ってこなかったので腹が減りました・・ということで東扇島の東と西の公園に寄った後にコンビニで食事をすることに。倉庫前コンビニで弁当を食べました。
東公園は新しいらしく浜辺までできていました。私はいまの仕事の前にしばらく海産物を横浜から東扇島に運んで作業してまた横浜の会社に戻るというアルバイトをしていたことがありますが、そのころは東公園はなかったような。東扇島から出る前にアルバイト先の会社が当時借りていたニチレイの倉庫脇を通りました。ベイブリッジの横風にふらふらしながら積載オーバートラックを運転していたころを思い出しましたが、東扇島じたいは当時は日銭を稼ぐのに手一杯で、当時はたんに無機質としか感じなかった倉庫群をふらふら歩いた記憶はありません(海底トンネルを歩いたくらい)
東扇島からふたたび海底トンネル経由で千鳥町へ。技術的にはさっぱりわからない私ですが、複雑なパイプに見とれたり引込み線に目を奪われたりしつつ、夕方近くになったので夜までに自走戻り目標の2人は水江町で離脱となったのでした。
その後、幹事Tさんと昭和へ。昭和電工、JRの発電所などを見ているうちにだんだん日が暮れてきました。母親が高卒後昭和電工に勤めていましたが総務関係の部署とのことで、ここに勤めていたかどうか今となってはわかりません。鶴見から鶴見線で通っていたという話を聞いたことがありますが、子供時分でしたしあまりまじめに聞いていなかったのが今となっては悔やまれるところです。
ここでタイムオーバーとなり幹事Tさんを見送りに鶴見駅へ。本町通りにある父親の最後の勤務先の脇を通り過ぎ、鶴見川をわたる潮見橋から生家があったと思われる生麦を川面の左遠方にのぞむ、個人的憧憬ゾーンをなにげなく渡り過ぎて駅へ。Tさんを見送った後、自走で国道15号と鎌倉街道を鎌倉へ。130kmほど走ったようで工業地帯ポタの割にはずいぶん走ったのでした。
工業地帯の造形物を楽しむという趣旨のポタでしたが、個人的にもこのあたり一帯は私たち、そして昭和時代を通して両親、親戚が生活の基礎を築いた場でもあり、それぞれの宮仕え事情などで散り散りになっていき各々生活を営むようになった、そんな年月の流れというものをちょっとだけ振り返る、そんな時間にもなったのでした。
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としさん、こんばんは。
このポタ、実はとてもとても行きたかったのです〜(>_<)
blogを読ませていただいて、ますます。今度お話きかせてください♪
投稿: NUTS | 2009/12/08 21:19
NUTSさん、おはようございます。
あれ?今回は残念ですね。川崎、横浜ポタと銘打っていましたが前半は大田区の海浜だったので「東京ステキ生活R」には欠かせない区域でしたよ~~整備場見学ポタとか、(私は横浜側に目が行きがちですが)東京臨海とか木場とかおもしろいかも~と思いました。
投稿: とし@鎌倉 | 2009/12/09 08:56