H先生
税理士さんとは10年近くお世話になっていますが(最初の数年はかなり適当に自力でやっていた)、数年前こんな会話があった
ぜ「としさん(私)は高校はこのへん?」
と「ええ、そこのH野です」
ぜ「え!高校ではバスケかなんかやってたの?」
と「いやーぼくは球技など団体競技一般は苦手で、ワンダーフォーゲル部にいました。山登りです」
ぜ「あ!ほんと!?在籍は(昭和)55年前後くらい?」
と「入学は(西暦)80年4月で卒業は83年3月です」
ぜ「顧問はだれ?」
と「え??O先生が普段の山行の引率で、
アルプスでの夏合宿、八ヶ岳、谷川岳のような山行になるとH先生が引率でした。H先生はふだんはバスケの・・(あ!もしかして!)」
ぜ「それ、兄貴(笑)」
と「へーーー!」
そういわれてみると苗字は同じだし、顔かたちも似てたね!
なんですぐ気付かなかったんだろう。もともと中学の同級生に紹介してもらったので、高校つながりは考えてなかったのだ。
ああ、でもH先生の弟さんでよかった。
というのもO先生はろくすっぽ地図を見ず、岐路で適当に判断して
「いっちゃえ、いっちゃえ」が口癖で、我々の評判が悪かった(実際は登山者の多い夏のアルプスより関東近郊の低山の方が迷いやすかったり)、
H先生は立ち止まって地図をじーっとみて方位なども確認して堅実に進み、落伍者にも目が配ったり、処々で冷静な判断ができる人だと私たちも信頼していた(飲酒に厳しいのがちょっと困るかな、だったけどね)。
私たちは80年冬に起きた近くのZK高の遭難にも衝撃を受けて、
「Oとは山に行かない」とさんざんごねてたような。
合宿では私は(10人用テントを担いでいたので)H先生のすぐ後ろを歩いて
歩幅や次の一歩の選択など真似したり。
言葉でもいろいろアドバイスをいただいていたのですがどうも思い出せない・・。
H先生ご兄弟に偶然、登山や経営のご指導を受けたのも何かの強い縁に違いない。
が・・・・・・どちらでもボンクラ生徒だな-と強く感じていて、どうも申し訳ない今日このごろでもある(苦笑)
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