北軽井沢 暮坂峠 北榛名
せっかくさわやかな高原に来たので早く起きればいいのだけれど、二度の1000mUPが効いたようで、相部屋のホステラーの早立ちにも気づかず6時半に目が覚めました。平日の日常より寝坊。
朝食の炊き込みご飯と白飯を平らげて8時に出発。北軽井沢は明治期よりの酪農地帯だったそうで、戦後の開拓で白菜、ブルーベリー、とうきびなど高原野菜がつくられるように。70年代からはリゾート地としても開発されました。
満州開拓碑。もともとは群馬の別の村から満州開拓に出ながら(彼らにとっては)いきなりの敗戦で多くの犠牲を出しながらも帰還。戦後、この地に入植したのだそうです。 いまのさわやかな高原風景を見ただけでは、火山灰や高冷地という過酷な条件のもと各農家の嘗め尽くした艱難辛苦をどう想像したものかわかりません。
畑の向こうに見える浅間山。しばらく佇んでしまいました。そうやって、農道や町道をじぐざぐうろうろ。 北軽方面に来たのも気まぐれ気味だったので、草軽鉄道跡については事前のリサーチをしていなくて路線跡がどのあたりかもよくわかりません。また機会を改めて探索?したいと思います。
狩宿神社。ひっそりとした森の中にありました。 万騎峠も魅力的でしたが、今日は山沿いの与喜屋大宿林道をすすみ、群馬大津へ。草津への国道は陽気に誘われてかバイクや車がひっきりなし。こちらは立石で国道から中に入り、六合村へ。
湯久保を経て小雨に出ると、野反湖への国道は車があまり通っていません。すぐ右折して暮坂峠へ
「くれさか」で美味しい十割そばをいただきました。細めんと太めんがあるそうですが、太めんに。
外に出ると雨。花びらで雨宿りしていきました
六合村からの登りはさほどでもなく、峠に到着。雨はやんでいました。
峠道はそこここに若山牧水の歌碑があってうるさいくらいですが、峠にも歌碑があり銅像もある。マント姿、かっこいいハット、ステッキをついているけど、旅姿かなあ??大正11年秋に草津より小雨、暮坂峠を旅し紀行文として残したその縁で、地元としても宣伝しているようですね。
幾山河越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく
わが脳味噌箪笥の引き出し劣化に拍車がかかる一方のきょうこの頃、諳んじているわけではなく、歌のかけらが引き出しのどこかに眠っていたのでネットで調べてやっとこさ蝶番が機能したにすぎません。ああ、この歌も牧水だったのですね。いつも思いますが、寂しさのはてなむ国とやらもまた、儚きものです。
下りはかなり長い。途中で見えた大きな岩。
この説明文を読むと・・・観世音(写真下)を造るのも公共事業だったようで?
沢渡温泉を過ぎるとそのまま行けば中之条ですが、まだ時間もあるので北榛名山林道へと足をのばしてみました。
直登して釣り堀を過ぎて左折するとそこが北榛名山林道。特に調べずに向かったのですが、北榛名山の山腹をくねくねする舗装林道でした。時々見える眺望も、車の通らない快適さもわるくはないのですが、ちょっと単調かな?天気が怪しくなってきたので、そう感じたのかもしれません。3時過ぎ。林道を完走すると遅くなるとも思ったので、途中の養豚農家のあたりから降りることにしました。
町を走るとやはり一雨やってきたので、淡々と渋川駅に向いました。
最近は高崎から湘南新宿ラインが出ているので便利です。高崎から鎌倉まで戸塚乗り換え1回ですむし。長旅なのでグリーン車でも乗りたいところですが、デッキは自転車置くスペースが狭かったような。それに、今回は疲れて寝るだけでした。家に帰ると顔がむくんでいました。少々、出動しすぎて疲れが出てきたかな?まあ、週末には心身ともに回復するでしょう。
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