上野原探索(西原古道)
1年ぶりにヘロン号の出番。奥多摩から有間峠に抜けたとき以来です。
ほこりをかぶり、空気も抜けていました。申し訳ない・・・。逗子までのちょこっと用では何度か出かけていたのですが・・・ちなみに、我が家から実際に計測したわけではありませんが、心理的には鎌倉駅>逗子駅>北鎌倉駅の順に近い感じです。
まあ、それはともかく・・・日曜日。上野原へ。通常は始発に乗ってやってくるので上野原駅からの登山客をさほど感じなかったのですが、今日は始発から3本目で8時前に到着ということで、バスにはちょうど登山客たちが行列をなしていました。バスはこのくらいの時間帯に一斉に出るようなのです。それでいつもの輪行場所が確保できず(できないことはありませんが多くの登山客の目にさらされるのがいやで)こちら側へ移動。こちら側も平日朝だと出勤客の邪魔になるでしょうが、今朝はいません。南口に降りれば静かだとわかっているのですが、北に向かうのに南口に降りるのは嫌なんです(^^;
上野原の市街で酒饅頭をゲット。上野原ではいつも酒饅頭に粘着しています。
きょうはIさんのブログで見た鶴峠手前の集落巡りと古道探索が目的です。25000図猪丸と新調してきた昭文社28番(高尾陳馬 2017年版)が主役です。昭文社地図2010年版と比べるとコメントや道が詳細になっていました。紙の地図の特色を出そうということでしょうか?
といっても直前の思いつきで予習復習しなかったので、古道がどのへんだったかはよくわからないのですが25000図の破線と山地図の小道線がヒントとなるか・・さらに余裕があれば佐野川峠を越えて登里へ、とももくろんでいましたが、今日は6時半には自宅に戻ろうかなとも考えていたのでどうなることやら。
25000図ではいくつか家があるはず(初戸と腰掛の間)ですが↑今はあとかたもない。ただ、手前には落ち葉掃除されている方がおられました。
追記:実際は道から見えませんが民家は有るそうです。訂正します
阿寺沢の集落にて↑いつもは「阿寺沢入り口」を通り過ぎるだけでしたね。
本日は抜けるような青空。昼までは雲1つない快晴だったと思います。
飯尾の集落。茅葺屋根の家があり、家の方が掃除していました。集落の上のほうから獣避けの音が聞こえています。音楽や犬の鳴き声やらいろいろなパターンがあるようです。
隣の原(西原)まで行けるかなと思いましたが、それらしい山道を見つけましたが、時間がかかりそうなので今回はやめておきました。他の集落もつぶさに回ってみたいし、藤尾から小ゆづりまでは山道を行けそうだったので今回はそちら優先としました。
西原の集落。7年前にこのあたり(郷原)から西原峠に登っているはずですが、集団山サイで当方何かと余裕なく、路地の美しさに気が回りませんでした。
この広々とした空間は記憶があります。この開放感。今回はしっかり休憩させていただきました(笑)
西原から降りてへはいやら田和やらも回ってみました
田和にて。7年前の山サイ時も民家の庭先からイノシシよけの柵を開けて登り(担ぎ)始めたのでしたが、ここから??いやいや、たぶん先ほどの西原(郷原)からで、ここ(田和)からではなかったかも。うーん、わからん。忘れちゃいました。
今度は藤尾に入りました。これまでの上り下りが少々堪えているらしく、結構しんどい。なんか、レゲエっぽい音楽が聞こえてきてなおさら力が入らん(笑)
民泊のような宿泊施設が上にあるらしい。
六藤バス停手間から集落に入るという手もあったようですね。そうすれば藤尾集落まで平行移動できたのかな?
へらへら登っていくと、上には民泊施設のかたがいました。レゲエっぽい風体ではなく、NPOという感じのかたでした。今日はその民泊施設でのお祭りなんだそうです。
さて、今日はお祭りではなく、その先まで行かなきゃ。
小ゆづりまで山道、行けるかな?
何やら地図のようです。まあ、ダメだったら戻ればいいのだ。押し担ぎで入ってみました。
杉林をジグザグいくと切通しになっていました。向こう側のほうが道が明瞭ですが、この先左右に分かれていて左側を下っていきます(右側は作業道のようでした)
すると。。。前方から自転車を担いでいる人が来ます。
実は遠方にご一緒する予定でしたが、土曜日の天気が思わしくなく、日曜日も強い冷え込みが予想され(もともとはもっと早め予定でしたが台風で延期になっていました)、今年は流すことにしたのでした。つまりこの日はてんで勝手の行動になっていたのですが、なかなかの偶然です。
こゆづりから沢渡への情報も教えていただき、とりあえずここは分かれました。
小ゆづりに出ました。ここでいいのかな?25000図の情報とは異なり、最新の山地図もやや情報は足りない感じですが、Iさん情報とともに「民家の庭先を通る」はコンセンサスのようで(^^;
ちょっと下りて左折するとその「庭先を通る」民家があります。庭先を通り、上に20mほど進んで右に行きます(丸山登山道の上り下りと交差しているようですが下りのほうが山地図にも記載がないので方位を確認したり偵察したりして確認しました)
すぐ上に観音さまが休んでいました。西原古道というらしいですが、少なくとも江戸時代には上野原から小菅への往来に使われていた道だそうです。ところどころススキの原っぽくなっていますが、30-40年前はたぶん畑だったのではないだろうか。樹木の繁茂も今ほどはなくて、炭焼きなどもしていたのではないかな?そんな勝手な想像をしながら山道を歩いていました。
楽しい集落巡り&古道歩きでした。出口あたりでIさんが待っていてくれたので、しゃべりながら帰途につきました(私は上野原から輪行)。おかげさまでたくさんの発見がありました。ありがとうございました。
コース(山道は不正確です)
西原古道、これからも歩き継がれるとよいですね。
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いやいやいや、山の中でお会いするとは驚きました (^^)
小棡から先も迷わずに行けたようでよかったです。僕としてはこの付近が一番のお気に入りなんです。
写真の腰掛の手前のところですが、地形図の通りまだ民家が数件あります。道を挟んで左手斜面の下の方と、右手斜面の上にあります。道から少し離れているので見えなかったんだと思います。
投稿: INTER8 | 2017/11/14 23:36
INTER8さん、こんにちは
歩行者でもびっくりするのに担ぎ姿が遠くから見え、しかもINTER8さんだったので幾重にもびっくりです。
おかげさまで十文字峠(場所が?歩行者の口ぶりだと沢渡よりのようで)も通れて、古道の雰囲気を味わうことができました。午後になるとどうしても急ぎ気味になってしまいますが、今度はもうちょっとゆっくりしたいところです。
腰掛の件ご指摘ありがとうございます。「あとかたもない」は現住のかたに無礼でしたので訂正しました(^^;
投稿: とし | 2017/11/15 08:02