紀伊2日目 尾鷲 熊野 新宮2019/03/22
きょう2019年3月22日はちょっとした記念日である。たいしたことではない。もちろん誕生日ではない。今回、飛び石連休で来たと書いたのだけれど、GWやお盆、年末年始以外の平日いちにち完全に休むのがほぼ20年ぶりなのである。もちろん罪悪感などもうない。休日も正月も深夜もへったくれもなく、あくせく働くほうが本来おかしいのである。人生百年、働き方改革という美名のもとわが国民は老若男女問わず擦り切れるまで労働に拘束される。さまざまな技術の進歩で平成の初めに比べて労働生産性は劇的に向上しているハズなのに、わが国民が稼いだおカネはどこに行ったのだろう?平成は日本全体としてみれば悪くない時代だったと思う・・・・戦争も内乱もなかったし、代替わりをあの忌まわしい自粛でなく祝うことができる。国力は相対的に低下したけど、ほかの国が豊かになったということであり私自身は仕方ない話だと思っている。心のどこかに何か喪失感なり無力感なりを抱えているようであるのは社会のことではなく自分のことである。芥子粒のように小さいけれどそれなりに長くて重い歩みでもあったのだろう。無理やり理由をこねくりだして納得することもないし、このようなところでわざわざ表現することもない。そのままにしておこう。
わかいときはあんなことやそんなことで怒り心頭になっていたけど、成長か諦観か痴呆だかわからないが今はもうどうでもよくなった。世界への興味も薄れた。静かに穏やかに現実を受け入れ、旅に出るのだ。光陰はいよいよ加速度を増してゆくばかり。元気なうちに日本のあちこちを巡って風景に溶け込みながらこの目に焼き付けておこう。
いつもと違う立ち上がりですが内容は相変わらず散漫で手抜きです。今日は幹線国道に比べれば静かであろう海ぞいを国道をひたすら行き、熊野に入ると幹線国道に避けて(←たぶん)少し海から離れつつ新宮へ、という展開です。
おっとその前に県道778で九鬼に抜けようとしましたが大曾根浦から先は通行止めでした。戻り、通りたくなかった長いトンネル手前で国道に合流しました。
国道とはいっても遠くに用事がある人は42号線を使うので車は地元車ばかりです。平日なので観光車が少ないのは目論見通り。ときに1車線の国道の海ぞいサイクリングを楽しみました。前日は雨気味でしたがこの日は晴れて暖かく、アンダーとジャージで十分でした。
高校1年のときに紀伊半島サイクリングに来ているけど、このあたり、特に現在の尾鷲市と熊野市の境あたりの道がつながってなくて国道42号を使って熊野に抜けたはず。細かい記憶にないけど・・・・矢の川峠は行かずトンネルを通ったのではないだろうか。友人に聞いてみないとわからない。 参考)むかし走ったところ 短文で特に参考にもならないけど、ちなみに私はロード。友人がランドナーでした。
なつかしいけど、そのとき走った道は車が多くて今は走りたくありません、当時はほとんど幹線国道をゆきましたから。観光地には寄っておこうと思ったのか、瀞峡や那智の滝には寄っているようです。
輝く海を見ながら昔のサイクリングを思い出してみたけど、なにぶん40年近く前(高校1年の冬休み 1980年~1981年)で記録も残ってないので思い出せないね。
鬼が城で42号と合流してやはりその車の多さに辟易して熊野市街から1本奥の道に逃れました。ミカン畑から田圃へ、海ぞいの風景と一変しますが変化が楽しい。
新宮市内に入り、速玉神社へ。近くに、40年近く前に泊まったユースホステルがありました。当時、大みそかに宿泊して神社に初もうでに行ったのでした。同宿者は確か、ひとりもののおじさんだけでした。夕食時、そのおじさんがご飯つぶをこぼしながら旅の話を嬉しそうに話していたのと、友人が「大みそかに独身でこんなところでわびしいな。ああいうふうになりたくないね」と繰り返し、私に同意を求めるように話していたのを記憶しています。彼はにぎやかな家で育ったのでそう感じたのでしょう。 私はたぶんあいまいな相槌でもうっていたのだろうと思います。将来どうなるかなんてさっぱりわかりませんでした。
この日はビジネスホテルに泊まりました。少し離れた商店街の食堂(基本的には喫茶スタイル)でナマズのひつまぶしなるメニューをいただきました。くせがなくて美味しかったです。
夜のテレビでは前日引退したイチローの会見のニュースをやってました。2001年のGWにシアトルでレッドソックス戦を観戦したこともあります(野茂がイチローにぶつけた試合)。あのときすでに脂の乗り切った時期だったように思いましたが、それから18年。すごいことだよなあと改めて感嘆したり、自身の18年の月日とシンクロしてしんみりしたり。おつかれさまでした。
今日のコースhttps://yahoo.jp/0f3mqw
三重県北牟婁郡紀北町相賀 ~ 和歌山県新宮市徐福2丁目2
距離105.7km
獲得標高上り:1600m
海辺のアップダウンが結構ありましたが天気がよくて終始気持ちのいい1日でした。
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コメント
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こんにちは。
紀伊半島は行きたいところの一つです。電車嫌いな僕はどうやって行こうか思案中。
人生百年なんて無理です。弱ってきた親を見ていると良く分かります。老いには誰も勝つことはできません。たまに健康なご老人を見ますが、それは稀な場合であって、たいていは身体の微妙なバランスが崩れて不自由になってしまいます。
雇われ仕事をしていた会社時代は、よく我慢していたなって思います。今はストレスなく穏やか。これにつきます。
投稿: INTER8 | 2019/03/30 11:47
INTER8さん、こんにちは。
紀伊半島、車載だとどこがいいいのかは私にはさっぱりわかりませんが、海沿いより山間のほうがいいのかもしれません、走るポイントもそちら(山あい)のほうが好みでしょうし。
年号とは関係なく年齢を考えるとそろそろ生き方を切り替えないといけないなあと自分でも思うようになりましたね。
投稿: とし | 2019/03/30 14:21