御荘から宿毛2020/1/13(外泊 高茂岬周回 深浦 )+雑感
晴れるも午前は北西の季節風に悩まされました
御荘の道の駅に寄りましたが時間が早くめぼしい補給物資(一口で食べられる類のお菓子とかですね)が見つからず、西の半島へ。旅館で美味しい朝食もいただいたしね。
しかし風が強くて風の方角にはまってしまうとなかなか進みません。
293号(猿鳴平城線)をゆきましたが、強風にめげて中浦には行かず294(中浦西海線)、34(平城高茂岬線)で高茂岬へ向かいました。
ひなまつりのようにだんだんと並ぶ石垣の集落、外泊集落。季節風や台風から家を守るためだとか。外泊というからには中泊というのがあり、もともとは中泊が本家で外泊は幕末から明治にかけて、次男坊以下の移住でできたんだとか。石垣の家から見える宇和の海や島々、小さな半島もとても美しい。家の中は見ることができなかったけど、漁の様子が見えるように、台所は海に向かっているらしい。そうだよね、台所が壁しか見えないなんて不合理な話だと私も思います。
ひとしきり見学して高茂岬へ向かいました。ここから岬そして武者泊という集落までは道沿いに民家はなく道も狭く、海ぞいというより密林の細道をくいくい登ったり、方角によっては向かい風にはまったりしつつ、時折見える豊後水道を眺めながら。
最後に向かい風の試練を受けて岬へ
なかなか素晴らしい眺めでした。徒歩でもうちょっと先っぽまで行けるようですが、まあここからでも十分、と出発することにしました。
先ほど気づきませんでしたが、BD1のサイクリストもいたようです。(おそらく岬に向かっていた中年男女)
岬から東行き(高茂岬船越線)に下りて行くと嘘のように風がありません。快適に武者泊まで 空も朝よりきれいに晴れ上がってきました。武者泊にも民宿があるそうで今度は泊まってみたいなあ。いつも出発前に宿を決めてしまうので、天気が悪くなるとアクセスがやっかいそうな宿はついつい事前に避けてしまうのです。でもいつもんなふうではいかんね。旅作りはもう一歩の工夫なり踏み込みが必要なんだと思うものの、ついつい妥協してしまいます。
武者泊あたりからしばらくお猿さんがちょろちょろ動き回っていました。心なしか小さめな感じで私が近づくと逃げていくものもあればガードレールの上から見ているものもあればという感じで、むやみに刺激しなければ特に害はない感じでした。地元の方たちがどう感じておられるかはわかりませんが・・
ド根性ガエルのぴょん吉のようにバス停が壁に貼りついていました。道が狭いからかな?
船越付近で県道から離れて尾根筋を走る県道と海ぞいとの中間にもう1本、道があったので進みました。
五万図とツーリングマップルのコピーを頼りに深浦の市場食堂へ。スマあぶり定食なるごはんをいただき、ちょっと遅い昼食としました。スマというのはカツオの仲間らしいのですが(サバ科)味はマグロの中トロのようで、美味絶品でした。
またひたすら海ぞいをゆき、宿毛城辺線に入りました。ここからは海ぞいといってもアップダウンの多い、海を眼下に眺める道となりました。
まもなく宿毛です。土佐文旦?こっちの柑橘類は種類が多くてさっぱりわかりません(^^;
宿毛からは土佐くろしお鉄道で輪行。中村のビジネスホテルに投宿しました。
15日の午前便で帰ることにしていて、かつ14日は桂浜の国民宿舎に予約していたので、宿毛からのツーリングプランが難しく、結局土佐くろしお鉄道区間は輪行することにしたのです。
いつ帰るかわからない、きまぐれな旅をしてみたいと思わないでもありませんが、やはり旅程は明確にする必要があります。旅程を延ばしたり、変えたりすると結局費用水増しになります。今回もマイレージで予約したので主な予算は宿代です。鉄道は費用を抑えるのが難しく、遠隔地はこれからも飛行機に頼ることになりそうです。北海道行ではマイレージ予約でもうまく変更できましたが、そうそういつもうまくいくわけではありません。はあ。
宿をキャンプに切り替えれば宿代は劇的に節約できるでしょうが、それは要するに好きじゃないんです。宿泊施設が地域の活性化に重要な役割を果たしていることを理解しているつもりですし、私から見れば、いわゆる愛国者(笑)なら、旅が好きで日本を滅ぼしたくないなら、地域の宿に泊まるべきだと思います。まあ、趣味はイロイロ楽しみ方があるので基本は人それぞれだし、団体受け入ればかりで1名だと断ったり過大な追加料金を設定しているような宿は論外ですが。ただ、この国の美しい山河や、政府の言うような活躍などしなくとも営々と続くひとりひとりの人間の生活こそ滅びてほしくないと思っています。その意味で地域で地道に運営している宿には頑張ってほしいなと思うばかりです。
愛媛県宇和島市大超寺奥 ~ 南宇和郡愛南町御荘平城
距離95.2km
獲得標高上り:1268m
1/27追記)土曜日。神保町で大学時代の何冊かの仏人類学の本(重かった。若い時は世話になったけどもう頭に入らなくなりました)を飲み代程度の小遣いにしてから、ハンドメイドバイシクル展をのぞいてきました。奇をてらったものでも趣味にはしるばかりでもない、最近の旅先でも見かけるような、工夫を凝らした実践的な自転車の展示も多かったと思いました。その後は巣鴨で登山靴をお願いしてきました。ひさびさの東京。すっかりイナカモノとなり、某国の新型肺炎流行の折、マスクするのが東京スタイルとばかりに武装して出かけましたが、考えてみると地元も観光地で団体客が多いのでした。
今回の肺炎騒動の初動において、(某国人はいつもの通りとして)日本の専門家のコメントまでもがどこへの忖度か知りませんがやけに楽観的に感じました。原発事故でも専門家という人種があてにならないことはあきらかではありましたが、私はSARSの記憶がまだあるので、新年になってから寺社や小町通りには近寄らず、初詣もいなかの実家近くですませました。まあ、SARSが自転車趣味のきっかけになったので感謝もしてるんですが。自転車趣味は出戻りの部類ですが、若い時よりずっと深化して昔の記憶を上書きしつつあるので、2003年から始めたということでいいと思っています。
そのころは、仕事が繁忙過ぎて事務所を外に出してちゃんと人を雇用しようかなと物件を探しはじめていたタイミングでした。SARSショックで3か月干上がったことで雲散霧消となり、暇なので自転車に乗り始めたり犬も飼いだしたりして事業拡大意欲が急激に薄れ、その後も個人+α程度の展開にとどめたのでした。人を雇用していれば・・・数年後にインバウンドに取り組んでいて自転車趣味が復活していてもロードに時々乗るとかヒルクライムイベントに出るとかでとどまっていて、いまは新型肺炎で痛い目に遭って躍起になって乗り切りをはかっている・・・そんな現状だったような気がします。インバウンドに取り組まなかった縮小型の現在は、転換もきかず事業も滅びるのを待つだけではありますが、新型肺炎はほぼ他人事。趣味のほうは充実しているし、必要あるヒトモノ以外はつきあわないためなのかストレスもありません。まあ、パートナーに恵まれたという面はあると思います。人生は1回だけ。私としては満足まではしてませんが、自分の性格にふさわしい、よりよい現状であると認識しているところです。
そんなことを考えつつ、どちらにしても土曜日は有意義な1日でした。
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コメント
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こんにちは。
四国旅、楽しめたようですね。遠い土地や知らない土地を自転車で巡る心地良さ。これを感じられて続けられることに生きてて良かったと思えるのではないでしょうか。僕はフットワークが悪いので遠出は少ないですが。
僕もとしサンと同じような現在です。
多忙→辞職→フリー→仕事そこそこ→自転車三昧→ストレスフリー (^^;
投稿: INTER8 | 2020/01/27 12:27
INTER8さん、こんにちは。
四国旅楽しめましたが、現在自転車自粛週間ということもあって、身体を持て余して次とその次の旅を考えています。まさに生きがいとなっていますね。自粛明けしたら近場も行こうと思いますので忙しいですね(笑)近場は道がイロイロ壊れていてちょっと切ない感じもしますが。
私は仕事はソコソコじゃなくて底底ですが、とりあえず健康であれば何とかなるでしょう。
投稿: とし | 2020/01/27 17:27