膵臓悪性腫瘍で手術入院 4/25-5/8
4月25日入院
4/25 PCR検査(1時間ほどで判明)ののち入院
前回は7階東病棟だったが、今度は8階東病棟であった。また廊下側である。窓側だと円海山が見えるはずだが、今回も外の天気に無頓着に過ごすこととなりそうだ。
血栓予防の医療用靴下を履く。看護師は7階よりベテランぞろいな印象である。
夕食は平らげ、よく眠れた。
4/26 手術日
9:00過ぎに手術室へ 硬膜外麻酔のカテーテルを背中に入れられ、その後全身麻酔
きづくと手術は終わっていた。目が覚めるとICU。夜9時近かったようだが記憶がはっきりしない
主治医(執刀医)が「奥さんに電話した」「腫瘍は大きかった」「肝臓転移はなかった」などと話しかけてくれたのがぼんやり聞こえた。診察時はぶっきらぼうな印象でその後もそうだったが、このときはテンションが高めで、オペに生きがいを感じる外科職人といったら表現がわるいかな?(あとで妻が「いただいた電話からドヤ顔が見えるようだった」と話していた)
手術は成功だったのだと思った。腫瘍は画像より大きかったと解釈した。また、主治医は肝臓転移を懸念していたのだなとぼんやりと思った。後で聞いた話だが、血管やらリンパ腺やらが癒着して大変だったようで手術は10時間以上かかった。私は11時間強、寝ていた。大手術であった。執刀医(主治医)中心にとても大変な手術をしていただいたことに心から感謝したい。
ただし、術直後は痛いし気持ちが悪いし熱は39度あるようで感謝の念よりもとにかくその時その時をやり過ごすしかなかったのが情けない現実であった。
4/27 ICUでは一睡もできず。明るいし機械音もするし、神経質な自分には眠るどころでなかった
昼前に一般病棟に戻ったが、この日は立つことはできず。(標準的には術後1日目に歩く練習をすることになっていたがこの日は勘弁してもらった)
夕方 鼻から胃へのチューブが抜ける。睡眠薬を点滴で入れてもらい、この日は眠れた
4/28 前日より痛みや気持ち悪さはなくなり2度ほど歩く練習。熱は37度台。夜中に背中の麻酔が切れて痛みが強くなった。
4/29 ヤクが切れて前日よりつらかった。朝から流動食だが、ほぼ口をつけず。まだ37度台のまま。午前レントゲンあり、2階へ。車いすでの移動ではあったがレントゲン室での立ち居は苦行であった。
尿管が抜けた。トイレは自分で行かなくては・・背中の麻酔カテーテルも抜けた。
4/30 術後4日目 体温は36度台になりつつあるが動くと37度台になる。流動食半分程度消化。痛みはだいぶ楽になった
歩くとわき腹が痛い ドレーンの影響かも、と主治医。術前の残りとみられるお通じがあった。ガスは術後1日目から出ており腸の動きはまずは順調のようである。昨夜、神経が高ぶって眠れなかったので睡眠薬を点滴で入れてもらった
5/1 全粥食2に移行となった。食上げというらしい。術後2日目から服薬が始まっている。胃薬と痛み止め。
左腕が点滴漏れで大きくむくんでいた。注射に不慣れな看護師さんでちょっと心配していたが的中してしまった。別な看護師が急いで処置してくれた。ただし多くの看護師さんはベテランでキビキビと献身的に仕事している。この点はいくら強調しても足りないほどである
もっとも懸念される合併症である膵液漏、その兆候は見られないということでドレーンが抜けた。スッキリ。
体温は36度台で安定するようになった。体重64キロ。ちなみに術前66キロであった。食事を抜本的に見直してためか3キロほど減ったのだがそこから2キロ減った。年初はだいたい70-71キロくらいだった(病気のために減ったのかも?)。
5/2 術後6日目 全粥食1に移行となった。これまでおかゆは3分の一、おかずも半分程度であったが、翌日から点滴が外れるということでガンバッテおかずは全部食べた(おかゆは半分残した)。ただし無理は禁物である。腸閉塞などの恐れもあり、30-45分かけてゆっくり食べなければならない。お通じは下痢である。1日5回も出るわけでなければ当面はしかたないようだ。
シーツ交換してもらう。だんだん細かいところに気が回るようになってきた。主治医以外のチームの医師の顔と名前も覚えなければ。
入院後初洗濯
5/3 術後7日目 点滴終了。針が外れて自由の身となったが、点滴台に頼らずに歩かねばならない。術後初シャワー
主治医から 腫瘍は5cmくらい。悪性。NET/NECならG2かG3(悪性度)、それとも特殊な膵管がんかもしれない、いずれにしても病理検査の結果待ちという話があった。一週間過ぎて炎症を起こすことがあるので腹八分目に。肝臓の数値の上昇は胆汁の流れが悪いかもしれないが現状の数字なら様子見とのこと。
この日から全粥。退院まで全粥であった
5/4 左腰が感覚がないというか乏しい感じである。手術の影響のようだ。とりあえず生活に支障はない
ナースステーションから遠い部屋に移動となった。身の回りのことができるようになってきたからということのようである。夜もよく寝られそうだ。一般病棟に戻ってからお隣さんのイビキに悩まされていた。耳栓や、時に睡眠薬点滴で過ごしてきたが、移動先は静かであった。
歩く練習はしているが病棟をうろうろするくらいである。感染予防の観点からあまり広範囲に動くことは推奨されていない。試しに階段の上り下りをしてみたが1往復でヘトヘトであった。
まだリクライニングがないと起きるのが難しいが、明日あたりできるかな?
5/5 術後9日目 1日おきに血液検査がある。肝臓関係の数値も落ち着き始めているようで、退院が視野に入ってきた。医師には「若いから」とよく言われたが周囲の一回り二回り上の患者を見ると心境は複雑である。回復して20年アクティブに生きられるようにがんばるぞ!
入院後2度めのシーツ交換。きれいなシーツがうれしい。回復するにつれて生活に欲が出てきた。
点滴が取れて低血圧気味になってきたし、体重も63kgと減ってきた(退院日の朝は61kgになっていた)血糖値は1日4回測りに来るが100前後で問題ないようである。膵臓は半分残ってるし即糖尿病ということはなかろうが注意したい。でも甘いの好きなんだよね(^^;
食事は相変わらずおかゆ半分残しで45分かけて食べている。
面会者のいない静かなGWは今日で終わりで明日オペの患者さんが多く入院してきた。
5/6 術後10日目 金曜日の血液検査で問題なければ(術後なのですべてが正常に収まることもないが、落ち着く傾向が変わらなければ)、土曜日午前退院の流れになった。ところが主治医が今度の外来は14日でなくて21日と言いだした。経過が順調なので間をあけたいということらしい。こちらとしては病理検査の結果を早く聞きたいと伝えた。
間食に差し入れ(面会はできず看護師を通じて)のグミ、水ようかん、卵ボーロ、プリン、ヨーグルトを食べている。入院中本も3冊読んだ。新聞は地方紙を読んだ(一般全国紙は質の低い主観がうっとおしいし生活感がない。つまり役に立たない)。仕事も休業しているし株もやらなくなったし術後は日経新聞は卒業である。学生時代には日経ばかり読んでるとカ○ワになるといわれていたが、それは確かにそうなのだけど、仕事では役に立った。
明日、妻は出勤するらしい。電車が減っているとのことで不安である。この1年強のコロナ騒ぎはいったいなんであろう。憲法25条2項に関連して外出制限(私権制限による補償含めて)、通勤禁止(許可制とする)など周辺法を作って人流を抑えれば、人出が多いとか少ないとか「隣組」放送のむなしい垂れ流しもなかっただろうが、政府や経団連はそれぞれの思惑があって制限を設けたくないらしい。私は隣組的自粛の雰囲気はきらいだけど、道理的なルールに従うことはやぶさかでない。それが成熟した市民社会ということだと思う。首相は同じ部室サークルの大先輩で、危惧を抱きつつ多少は期待もしたが、残念ながら能力的にここがいっぱいいっぱいのようである。
但し今の私は、社会の病巣より自分の病巣に向き合うことが最優先である。身の回りの課題を真摯に乗り越えて家族と楽しく生活するだけである。その先に、自転車旅または山歩きライフの復活がある。
5/7 たぶん最後の血液検査。午後2時から管理栄養士との栄養相談を予約。(内容は別途)有意義な相談となった。脂質などの制限は制限として要は体力回復が優先である。術前の食事療法は膵炎の防止を主眼としていたが体重は減ってしまい、やりすぎな面もあったと感じていた。
血液検査は問題なかったそうで、明日退院決定。栄養相談は隣の棟だったが、数日前はこの程度で息切れで休憩が必要だったが、きょうは息切れということはなかった。動けば腹は痛いがあれだけの大手術だから当然である
夜になってから主治医より経過報告(最終報告ではないが、私が早く聞きたいというので検査機関に聞きだしてくださったのであろう)
病理:膵管内乳頭粘液性腺癌(IPMC)または膵管内管状腺癌(ITC )
リンパ腺転移陽性 浸潤癌 ステージ ⅡB
今後の治療方針:早期再発等なければ、術後化学療法としてTS-1を6月上旬から半年ないしは1年服用予定。
5年生存率(追記:IPMCのデータが少ないようでここでは略します)の話とか、リンパ節転移があったとか、浸潤癌であったという現実。聞いてみると重いけど、5年生存率も通常の膵がんよりはましのようで、とにかくできることをやるしかない。
5/8 午前 チームの医師「今後の方向性が決まってよかった」「家の湯船はいいが温泉は感染の恐れもありダメ」「サプリメントも血液検査に影響するので当面控えて」「運動は腹筋はダメだけど軽いスクワットならよい。太ももがやせてしょんぼりでしょうから。歩きましょう」等、優しいアドバイスをいただいた。
術後12日目。
手術直後1日目の回復は遅かったが、ありがたいことに合併症もなく、その後は順調であった。主治医はじめ医師チームのみなさん、看護師のみなさん、栄養士さんなど病院スタッフのみなさん、何もなさない私のためにたくさんの方が関わってくださいました。ありがとうございました。今後どこかで何かに恩返しできればいいなと思います。
妻が迎えに来てくれた。外に出ると薄い陽射しなのにまぶしかった。太宰の文章が断片的に浮かんだ(その場ではぼんやり浮かんだだけで以下の引用はあとで調べた。短編「新郎」より)人生後半の再生の日に彼の文章が浮かぶとは不思議な気もするが、躓きから立ち直り小康を得たころの作品であるから心境としては近いのかもしれない。
「一日一日を、たっぷり生きていくより他は無い。
明日のことを思い煩ふな。
明日は明日みずから思ひ煩はん。
今日一日を、よろこび、努め、
人には優しくして暮らしたい。
青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。
舟を浮かべたいくらい綺麗だ。
ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている。」
5月8日 退院☆
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こんにちは。
経験者が語るものは重いです。周りに病から戻った人は多いですが、改めてとしサンのお話しで自分の身体を大切にしなくては、と思いました。ありがとうございます。
また一緒に走れる日を楽しみにしています。
投稿: INTER8 | 2021/05/24 12:36
INTER8さん、こんにちは。
いま健康な方には人間ドック、腹部の超音波検査をケチらずに受けて、指摘あればすぐ対応されるよう強くお勧めしたいですね。
まだ自転車のことは考えにくい・・・と言いつつ、wiggleでひとつ小さいサイズのジャケットを買いました(^^;
投稿: とし | 2021/05/24 16:40
こんばんは。たいへんな経験をされたことが伝わってきました。コロナで医療従事者に対する負担がたいへんだといわれていますが、きっと鳴りっぱなしの電話受付の保健所の方含めて本当に頭の下がる思いがします。
医療体制がひっ迫するなか、多くの医師や看護師をひっぱるそうで、国民の大半が歓迎しない東京五輪、スガ総理の頭のなかにやらないことの選択肢はどうもないようですが、当局はやることとやらないことのメリット・デメリットをちゃんと示していただき、できるだけみんなが納得できる結論を出す努力をしてほしいと思います。去年延期して、今年延期しないと判断するのは、なぜなのかちゃんと説明してほしいと思っております。
投稿: ぱぱろう | 2021/05/25 20:13
ぱぱろうさん、こんにちは。
医療の現場、特に看護師さんは慢性的な人手不足だと感じました。看護学校は学費もかかるし、勤務についても時間的なこともさることながら、ルーティン作業が昔より格段に増えています。勤務すれば返還不要の奨学金の充実や、近接居住のための寮あるいは家賃補助など必要であると思いました。
五輪を政局に結びつけるのは目先の感情論のように思います。感染が収束できていないことが一番の問題なんでしょうね。憲法の通り、国は公衆衛生の向上に努める義務がありますから。
投稿: とし | 2021/05/26 10:08