ほぼ和歌山旅 ほぼ最終日 11/22 美山温泉から アメリカ村 日ノ岬 白崎 和歌山駅まで輪行
実質最終日となる。今日は海沿いに出て日ノ岬、白崎など回って湯浅あたりから輪行予定である。宿の愛徳荘は温泉で清潔で食事も良かったうえ、宿代も手頃だった。朝食は7時半からだったが、仕事で 食事早めの客に便乗して15分くらいにありつくことができ、8時過ぎに出発できた。
(左 愛徳荘 中 宿付近にて 朝は霧がかかっていた 右 海近くに進むとみかん畑が増えてきた)
日高川沿いに御坊の町に向かい、市内で道迷いなどしつつ通り抜けて、海沿いに出て日ノ岬方面へ。
高校一年の冬に紀伊半島を一週間かけてサイクリングしたことがあった。最後の宿が日ノ岬ユースホステルだった。朝起きるとペアレントが窓が開けたので寒いので閉めたのだが、ペアレントがまたわざわざ開けにきた。関西人てのはなんて陰険なんだと当時(あくまで高校1年当時の話である)思ったことだった。陰険な思い出の日ノ岬ユースホステルはまだあるのだろうか?
その前にアメリカ村に立ち寄った。カナダ移民を多く輩出した集落である。食堂はお休みだったので小さなミュージアムを見学させてもらった。ミュージアムは元々はカナダからの帰国者の家で、遺贈されたものである。昭和の頃はまだ洋風を取り入れた家も多く見られたとのことだが、今は建て替えなどで移民の村の面影を感じるのはミュージアムくらいであった。ミュージアムの受付の女性は寄贈者の親戚とのことだった。
考えてみると移民はもちろん、熊楠は米英、東京、勝浦など、開祖は北海道、旧満州、茨城、東京など流れ流れて、運命を切り開いていったのである。止まり続けるのも人生だが、やはり移り住んでいくことで進歩が生まれるのだと思う。私は中途半端で頓挫したりして進歩せずに終わりそうだけど、こうして可能性を求めて動いていった人々に共感するし、尊敬している。
(アメリカ村にて ミュージアムとその展示物)
記憶になかったけど、日ノ岬へは結構な登りだった。ユースホステルはもちろんもうなかった。
日ノ岬からは海沿いの集落や小さな漁港をつなぎながら、移動販売車でお寿司を買い求めつつ、のんびりサイクリング。
(左2枚 日ノ岬にて 右2枚目 移動販売車 今回のサイクリングで移動販売車を何回か見かけた 右 海沿いの集落にて)
最後に辿り着いた白崎は白い石灰岩と青い海の対照が印象的だった。展望台に出ると、青い海の向こうに淡路島や四国(小松島、阿南市のあたり?)が見えた。
さて、湯浅駅まで行こうかと進んだが、手前の広川ビーチ駅であと30分で和歌山行きが来るというのでここで輪行とした。和歌山駅の東横インに宿泊して翌日鎌倉へ戻った。新大阪まで各駅で行く予定にしてたけど、乗り換えがあって自転車運ぶのも大変かも、と妥協して特急に乗った。どうせそうなるなら最初から乗り継ぎ切符を買っておくんだった(往路の名古屋乗り換え那智勝浦までは乗り継ぎ割引)。そんな乗り継ぎ割引(新幹線+特急で特急料金が半額)も来春で廃止になるらしい。紙チケットのメリットを消してしまおうということかと邪推しているが残念なことである。
(左3枚 白崎にて 右 旅の最後の写真)
今回も充実したいいサイクリングだった。サイクリングは朝から晩まで楽しいね。山歩きは充足感はあるけど、技量などの制約などもあって行動の自由はあまりなく、夜寝るのも仕事みたいなところがある。
次回の泊まりがけは湯治やお留守番?を挟んで中旬あたりから考えているがまだ計画は立てていない。計画と防寒をしっかりして楽しい旅にしたい。
戦争に明け暮れ歴史を作った曹操と比べるのも可笑しいし、切り取った部分限定ではあるけど、心境は似ている。
盈縮之期 不但在天 養怡之福 可得年永 幸甚至哉 (歩出夏門行 その4から)
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