妙高山、米山、焼山(撤退)
頚城の山々を巡ってきた。
好天続きなら休息日を入れていわゆる頚城三山をそれぞれいければなと考えたが、天気予報や疲労度を考慮して休息日なしで妙高山、米山、焼山(ツアー)として、出発前の時点では翌日以降の予報はあまりパッとしないので焼山で帰るということにした。雨飾、移動、焼山、休息、火打と妙高(1泊)が理想だったが、火打、雨飾はまた来年ということで。
日曜日に上越妙高に前泊(レンタカー借りた)。月曜日は少々冷え込むが文句なく快晴となった。燕温泉から往復として6時前に登山口を出発。駐車場には車中泊と思しき登山者がちらほらいた。車中泊は今の私には真似できないししたくもないが節約できるのは羨ましい。膵臓癌になってから、5年生存率が低く術後2年以内の再発率は高いので、あまり財布の中身を考えなくなっていたが、術後3年半が経ち再発もなく喜ばしいのは間違いないが、生きるコスト、楽しむコストも考えないとなあと現実的思考に立ち返るようになった。その度にまあなんとかなるさ、生きてるうちに楽しむべし、と思考を打ち切る日々である。
さて、そんなことは登山中に考えていない。
寒いし風もそれなりにあるし登山道のそこここに霜が降りていて、紅葉も美しいけど冬は確実にそこまできていると感じた。
(妙高山登山道にて)
山頂(南峰)には9時半に着いた。順調なペースだったので三角点のある北峰含めて1時間20分ほど滞在して360度の遠望や山頂の爽やかな空気を堪能しながらお昼ご飯とした。
(山頂付近)
(山頂からの遠望。同じように見えるだろうが 左が火打、焼山 中が野尻湖、背景は志賀高原方面となるが山々はよくわからない 右は北アルプス方面 白馬、鹿島槍などは肉眼でわかるがその南側はよくわからなかった。アプリでもあればわかるだろうけど)
風が冷たいが、陽射しもあるので風の当たらない岩陰に座れば暖かかった。
素晴らしい時間となった。下山時には露天風呂にも入れた。温泉の効能も抜群。足裏の痛みが治ったのである(血行不良だったようだ)。
(滝を見ながらの露天温泉)
ということで妙高山は理想的山歩きだった。明後日の予報が怪しいだけにここで満足できたのは大きかった。
翌日は米山。頚城サイクリングの時は米山の南側の山間部にいることが多く、周りが山だらけということもあって米山はピンと来なかった。海側から眺めるとその山容はすらっとしていて秀麗である。標高1000mに満たなくとも300名山に加わったのもわかる気がする。登山道のブナ林も麓にある美人林に負けない美しさである。しかもこちらは全くの自然林である。
山頂には薬師があったので、戸を開けて(もちろん賽銭も入れて)祈願させてもらった。
(米山にて)
(山頂から頚城の景色)
下山すると上越妙高駅に移動。車を返して糸魚川駅まで移動してビジネスホテルに。15分歩いてイオンまで食材を買い込んで早めに休んだ。
糸魚川駅5時集合。この日はガイドツアーだった。参加者は三名で天気予報で減ってしまったようだ。ガイドさんからは事前に撤退含みとのことだった。意外な好転に望みをかけたが、林道を歩いたところで、山頂付近の勢いよく流れる雲を観察していたガイドさんから、強風で山頂まで上がれない可能性が高いということで撤退とあいなった。ガソリン代だけの支払いで良いというお話でなんだか申し訳ないが次回同じ企画があったらまた参加しようと思う。
(焼山への林道にて。噴火用のシェルターがあった。近々に噴火しないことを祈ろう)
フォッサマグナ博物館を見学、昼食などを経て解散となった。焼山は残念だったが仕方ないことである。またの機会に譲ろう。この日の下界は暖かく、おととい妙高山で冬の気配を感じたのが嘘のようだった。
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