畠山氏比企氏を埼玉で辿るポタ+ノートン引き取り
この週末は両日とも自転車活動でした。土曜日は輪行で埼玉、日曜日は再塗装完了したノートン号を引き取りに行きました。
この週末は両日とも自転車活動でした。土曜日は輪行で埼玉、日曜日は再塗装完了したノートン号を引き取りに行きました。
土曜日なら房総探索、日曜日なら東京湾岸ぶらぶらしてみようかと考えていました。
日曜日は高尾駅から出発。山サイやら散策やらで青梅までとしました。
土曜日は久しぶり(2012春に妻坂峠と鳥首峠)に妻坂峠に行こうと考えましたが、
地元には東急も通ってないのになぜか東急ストアがあります。
土曜日は県境越え禁止を外して多摩丘陵へ。
これまでツーリング車で訪れていなかった4つの峠や林道に行ってみました。
土曜日は武蔵五日市発着の山岳入り混じりサイクリングとしました。
先週行った山のあたりを今週はヘロン号で行こうと思い立ちました。
日曜日はひさしぶりにヘロン号で都内へ(東京駅まで輪行) 晴れ予報でしたが、鈍色の空からぱらっときそうでした。 土曜日のほうがよかったかもしれないけど、もう日曜日にしたからしかたない。 皇居付近は相変わらずランナーが多いですね。写真を撮るのも一苦労です(彼らの邪魔になるので) さて、 今回は玉川上水を辿ってみることにしました。江戸市中に水を供給していた上水(その経緯、歴史は調べればわかるのでこの駄文ではふれません)で、大半の区間が緑道か痕跡を辿れるらしい。自転車でのんびり走るにぴったりかな?と思って行ってみることにしました。玉川上水についてはサイクリング(ポタリング)の記録も多くあって、なかなかよさそうとは思っていたのですが、昭和のころのイメージがあったのと、ウチからだと輪行になるのでちょっと気楽にというわけにもいかず、結果的に次の年号が明らかになるタイミングとなりました。先述の通りレポートが多いのに甘えてここでは多くをレポートせず、印象批評といえば聞こえはいいけど、要は質の低い主観や思い出まじりグダグダ述べるだけとします。
ちなみに地図は下記のwebの地図を8枚打ち出しました。無断で申し訳ありませんが、感謝いたします。大変横着ですが、この8枚を胸の内ポケットで入れ替えるだけで今回は済ませました。
参考)玉川上水散策地図 印刷配布はご自由にとのこと、ありがとうございました。
自転車でのレポート及び写真はTネットが参考というか、いつも内容が非常に多くて正直に言えばさらっと眺めただけではあるのですが、雰囲気的にいいきっかけになりました。およそ15年前の今頃のようです。Tネット玉川上水ポタ そういえば先だっての阿武隈のオフでも玉川上水の話題が出ていました。 四谷三丁目から出発なので当然といえば当然なんですが新宿を通っていたんですね ~これは新鮮でした。 新宿から笹塚に向かいますが、暗渠をちゃんとたどれるのでウレシイ。水も流れていますが羽村 からかどうかはわからない。 名残の橋、ちょぼちょぼとした流れ、施設がいちいち新鮮に映りました。やはりサイクリングにはテーマが必要ですね。東京の奥深さをまた認識させられます。 代田橋を過ぎると住宅地に。といってもいわゆる武蔵野の雰囲気はまだなくて、 アパートでは赤いちゃんちゃんこを着た若い女性が洗濯物を干していました。緑道からふつうに見えるのでもちろん覗いたわけではありません。でもそれで一気に昭和に引き戻され・・・・・・・学生時代このあたりをうろうろした場面やら何やらがたくさん脳裏に押し寄せてきました。みんなどうしているのだろう?でも・・・学生の時って確かに懐かしいけど、その後は軌道の違う人生を歩んでいるんだから境遇も異なるし、社会観やら価値観もかなりずれがあって、会った後に一抹の虚しさや疲労も覚えるんですよね。特に、私は職業も住居も転々としたので、コースまっすぐで満足している人間と話があわないというかまったく理解されません。同窓会(去年、高校のそれに行きました)の類は脳の活性化は多少あるかもしれないけど、何か発展がなければ行ってもしかたないと思いました。そう考えると、家族はもちろん当然として、趣味などで知り合った現在の知己のほうが大事だと思うのです。
いずれにしても、あのころ玉川上水を意識したことはなかったなあ(笑)意識したのはここくらい。 高校の時見に行ったことあるんですが、 正確な場所がわからずだいたいこのあたりかなーなんて歩いただけです。いずれにしてもこんな干からびた汚いところでよく心中したなあ、大岡川に飛び込めば死体も見つからずもっと神格化されたのに、と思った記憶が。あちらの川もその後ずっときれいになりました。 いまは清流が流れ、道もきれいになり、春になるとどこでもサクラが咲いています。これは明らかに平成のいいところですね。 小金井公園にも寄りましたがすごい人でした。上水沿いはのんびり歩いている人がちらほらいたくらい。 だんだん武蔵野っぽい、佐藤春夫の小説のような雰囲気です(まあ、垣間見えるってことですが)。一休みするにはいい場所です。きょうは霧雨が降ったり晴れたり雲は忙しい様子でしたがサイクリングには差支えなくいいお天気でした。 ここは工事でかつての姿は見られなくなったようです。 水面に降りられる場所があったり、野火止用水(暗渠でした)に入ってみたり、ただ上水沿いといっても都市部から都市住宅地、郊外住宅地へと風景が目まぐるしく変わっていきました。 「みずくらいど」って案内板があったので、なんだ?自転車の施設か?と思ったら関東ローム層の難工事でこういう名前がついたようです。自転車用の施設のわけがないか。 羽村近くは上水沿いに走れない箇所もありました。以前は通れたけど今は通れない箇所もあるようです。まあ、しかたないか・・ もう終わりが近いようです。ここから先、花見客が多くて通るのに難儀しました。サクラはきれいだけど人に酔うよね~ 到着しました~。いやー、有意義な散策でした。思いがけず多摩川の奥まで来ることもできました。関戸橋から上流は行ったことがなかった(と思う)ので、そういう意味でも意義がありました。この前、河口も行ったばかりだし。
玉川上水からは多摩川CRを下流へ流して立川駅から輪行で帰りました。有意義な1日でした。平成ってのはまんざらわるい時代でもなかった。そんな思いもよぎりました。玉川上水もその1つの象徴といえましょう。
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